中華民国(台湾)頼清徳新総統の
就任式典ならびに就任祝賀会に招かれて
終身名誉会長 中山 正暉
本年5月20日中華民国(台湾)で、蔡英文総統の下で副総統を努めていた頼清徳氏が今般新総統に就任され、台北での就任式典とその夜に頼清徳氏が市長として勤めていた台南のゆかりの地で盛大な就任祝賀の大宴会に招待されました。
私が衆議院議員時代に李登輝第4代総統から景星大綬章を拝受しており、衆議院11期(平成14年)には日本国天皇陛下より勲一等旭日大綬章拝綬を機会に政界を引退しました私と、衆議院議員として5期務めておりました伜・中山泰秀の親子共々で招待され訪台いたしました。
私・中山正暉は、昭和44年、大阪市議2期を経て、大阪第2区から衆議院議員に当選しました。
その頃、世界情勢に大変化が訪れていました。ベトナム戦争でのアメリカ敗退。ニクソン政権のキッシンジャー国務長官は忍者外交を展開してパキスタンのブットー首相を利用、キッシンジャー氏はアタッシュケースを盗まれたときの用心のために爆薬まで装填して北京に入り交渉して、中国政府との世界を驚かせた「頭越し米中和解」に成功したのです。佐藤栄作首相はキッシンジャー氏と一緒にノーベル平和賞を受賞しました。
中国の安心感を与えるために日本に非核三原則・沖縄の返還・佐世保の米軍基地撤去と、画期的な変化として1972年9月29日北京で発表された、日本・中国両政府間の戦状態の終決、国交正常化のための共同声明となりました。中国政府が提示した非核三原則を十分理解するとして(1)中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の合法政府である。(2)台湾は中国の不可分の領土である。(3)日華平和条約は不法無効であり廃棄されるべきであるとされ、声明第9項の諸協定は相次いで締結されました。日中平和友好条約も福田赳夫内閣によって1978年8月12日に締結されたのです。
私等当選1回のチンピラ議員でしたが夏の暑い時期を中心に17回も会合を開催、大激論を戦わせました。条約締結の際の福田赳夫首相に強行意見を披露するもの6名が首相官邸小食堂に呼ばれ反対意見を聴取されました。
毛沢東は日中戦争の中「7割の力は休ませておけ。2割の力で蒋介石と戦え。1割の力で日本軍の邪魔をしろ」と言っていました。日中戦争末期、蒋介石
軍を支援していたアメリカの軍事顧問スティルウェル将軍とハーレイ行使は軍事支援を毛沢東共産軍に切り替えると宣言しました。それに対し蒋介石は「それなら日本軍と和睦する」と反論してしまったことで日本敗北の後、無傷の戦車800車両ほか武器・弾薬が毛沢東軍へ渡され、蒋介石軍は台湾へ退去することになりました。首相官邸に6人が呼ばれ15分の福田首相の下問に対し、私は日本が1945年8月15日に敗戦連合国に降伏したときに無かった国で1949年10月1日建国した国と平和条約締結は矛盾がある。
そして1951年9月サンフランシスコで調印4月8日発効領終結後対日講和条約が中国国民政府(台湾)とも結ばれたが、直後1952年4月28日台北で調印され1952年7月5日条約10号として国会で承認された条約が1972年9月29日突如日本政府の見解によるとして永久条約が国会審議にも架けられず破棄されたことは憲法違反であると主張しました。
後に首相を辞されてからパーティーの席で福田赳夫先生が「中山君、あれはやっぱり間違いだったかな!」と唐突に私に話しかけてこられたことが忘れられません。
中華民国の高官だった林金莖氏が「梅と桜」なる出版物に「三勇者二賢人」と銘打って中山正暉・浜田幸一・林大幹三衆議院議員と玉置和雄・源田実参議院議員五名が両院での日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約に本会議に出席して反対を表明して全議員が起立して賛成する中着席反対の意志を表明起立せず着席したことを著書に記銘してくれていることも懐かしいことですが必ず台湾を併合すると豪語する習近平の発言がアジアの平和に如何なる有事を迎えることになるのか憂慮の極みです。
頼清徳総統の前で挨拶
3人で記念撮影
第101回箱根駅伝予選会、
過去最高の暑さの中で中央大学の選手達は!?
L櫻井 俊宏(應援團監督)
中央大学オンライン&パブリックビューイング応援イベントでメインコメンテイターを務めている、中央大学応援団監督の櫻井俊宏です。
今年の100回箱根駅伝は、まさかの集団感染による13位シード落ち。これにより、2024年10月は、出雲駅伝出場ならず、箱根駅伝予選会出場となりました。
そのような箱根駅伝の苦い経験もあり、中央大学の予選会のエントリーは無難なものになると思っておりました。
しかし、びっくりしたことに、エントリー発表は、事前から言われていたエースの1人、3年・吉居駿恭君の温存のみならず、今年の大会で10000m27:52と“中大過去最高記録”を打ち立てた3年・溜池一太君、ハーフマラソンの記録がチーム内で現時点1位である2年・柴田大地君らもエントリーさせないという奇策。しかも、1年生を12人中5人も走らせるというものでした。
ハラハラしながらも当日を迎えました。
今年の予選会は、スタート地点の自衛隊駐屯地には陸上部と応援団関係者しか入れないという、初めての規制がされました。おそらく、駐屯地のゲートが1カ所しかなく、例年人が殺到するので、それに対する安全策なのでしょう。このことからも箱根駅伝の人気の凄さがうかがえます。
特徴的だったのは、30℃を超える暑さです。過去の予選会で最も暑かったと思われます。
中央大学は、以前も暑いときに予選会をギリギリで通過ということがあり、あまりいい予感はしませんでした。そもそも、この時期の暑さは、黒人選手等には有利なので、日本人オンリーの中央大学は相対的に不利といえます。
陸上関係者と応援団で賑わうなか、レースはスタートしました。
中央大学は、ハーフマラソンが得意な3年・白川陽大君、1年生にして好記録を次々と打ち立てている岡田開成君を自由に走らせ、残りの選手は、4年・阿部陽樹君を中心に集団走でした。
我々の応援の中、選手が駐屯地を出ていくときには、自由走の2人は上位、集団走の選手達も前の方を走っており、事前予想1位と言われている中、安心感のある走りでした。
そして、我々応援団は、大急ぎでゴール地点へ。ますます暑くなってきております。
中央大学の選手は、まずまずの感じでゴールを通過していったのですが、チーム10番目の選手がなかなか来なかったので、嫌な予感はぬぐえませんでした。
その後の結果発表、専修大学等の意外なチームが上位で呼ばれており、胃がきりきりと痛みます。
「5位、中央、学院大学!」とのコールで、あららと思わされた直後、「6位、中央大学!」ようやく本学はコールされました。
ひやひやながらも、箱根駅伝出場決定です。
ゴール後の中央大学報告会での藤原監督のお話では、ある程度予定通りの結果であるというニュアンスがありました。
チーム全体の底上げと、個々の選手のコンディションを緻密に考えた結果なのでしょう。
チーム内上位5人のうち、1年生3人が入っていたのは、大きな収穫といえます。全日本駅伝までに日が短いことから、エース、準エース級を多数温存できたことも大きいです。
野村先生が「我々にとって歴史上最後の箱根駅伝予選会です。」と言っていたのも印象的でした。
ここまで述べてきたように、今年は1年生の成長が極めて著しく、いよいよ中央大学の黄金時代到来の予感を感じております。
皆様、ご一緒に中央大学駅伝ブロックの応援を宜しくお願いします。
フレ~、フレ~、中央!!
白門LC
チャーターナイトの思い出
2019年6月1日 東京白門ライオンズクラブ 15周年記念大会
第12代会長 境 捷彦
2009年1月23日グランドプリンス赤坂で白門LCと法政LC共催で5周年記念のチャーターナイトが開催されました。
鈴木誠会長(当時)・上野慈朗会長(当時)のもと、400名余の参加者されました。小池百合子衆議院議員(当時)の特別講演で開催されました。
両クラブの最初の打合わせの折、法政のKライオンが偉く高飛車に仕切り、司会の女性も同伴有無も言わせず決められた記憶があります。女性は名刺も持たず大変不愉快な会合でした。
後日、席割にて法政に比し、白門の席がかなり良くないとゆうことで、故・杉浦Lが怒り、しばらく例会に不参加の時期もあったりしました。
2014年2月16日、東京会館で結成10 周年大会が開催されました。
中山大会名誉会長・榎大会会長・鈴木実行委員長のもと、170名にご参加いただきました。
司会は曽根純恵フリーアナウンサー(平成12年卒)、中央大学杉並高等学校吹奏楽部による記念演奏会、祝宴では平岩佐和子氏の歌が披露されました。
白門の絆を奉仕で結ぶ母校愛のテーマで、箱根駅伝をはじめ11項目の記念事業が発表されました。
2019年6月1日、ハイアットリージェンシー東京において「ありがとう母校への奉仕一筋今ここに15周年」のテーマのもと、15周年記念大会を榎実行委員長の采配で268名の参加で盛大に開催されました。
毅然と生きた白門OBの物語のテーマで門田隆将氏の特別講演で始まり、中央大学杉並高等学校ダンス演武披露、祝宴では西村協氏、平岩佐和子氏が中央大学スィングクリスタルオーケストラの演奏をバックに歌っていただました。
司会は山本哲也NHKエグゼグティブアナウンサー、木村友希フリーアナウンサー(平成30年卒)の豪華布陣で進みました。
結成20周年記念大会は、河野実行委員長・根岸会長のもと2023年11月26日ハイアットリージェンシー東京にて264名の参加で開催されました。大久保英彦L・宮崎亜巳L・林家つる子師匠による心の温まる司会でした。
テーマは「母校と共に未来を拓く今ここに20 周年」。中央大学杉並高等学校ダンス部の意表を突く演武で始まりました。中山名誉会長の乾杯で第二部がスタート! シャンソン歌手であり弁護士の小宮山澄江氏の歌唱、林家つる子師匠による落語披露、そして応援団演武、応援歌メドレーと続き、櫻井L校歌斉唱、鈴木誠Lの閉会宣言で幕を閉じました。
小生は15周年までの3回の記念大会を、榎Lの指示のもとで大会運営に関わりましたが、20周年も含め、いずれの大会も素晴らしくメンバー皆で心血を注ぎ達成感のある大会と思います。
ただ、現在は肝心の大学支援が財政不振のため滞り、大久保現会長は切歯扼腕とことと思います。ライオンズのメンバー皆で協力し合って、財政再建を成し、一日でも早く大学支援が復活できるのを祈るばかりです。
2005年3月 東京白門ライオンズクラブ結成会
2014年2月16日 東京白門ライオンズクラブ結成10周年記念大会
2023年11月26日 東京白門ライオンズクラブ 20周年記念大会
中央大学多摩キャンパスで献血会
9月25日(水)~27日(金)
白獅子会、学生赤十字奉仕団とともに活動
献血委員長 L茂岡 幹弥
今年に入り1月、4月、5月、6月に続いて、9月25日(水)〜 27日(金)に5回目の献血会が行われました。この3日間で100名の献血があり、骨髄バンクのドナー登録は21名でした。
2022年11月から開始したこの献血会は、これまでで27回開催され、献血者の累計が1,090名、骨髄バンクのドナー登録者は91名となりました。
今回のメンバーは白門ライオンズクラブからは5名(大久保会長、佐野L、松田L、横井L、L茂岡)、白獅子会学生支部から4名(鈴木彩音L、三又葵L、駒崎誌乃L、小林良輔L)、赤十字学生奉仕団の学生10名も一緒に活動しました。
今回の献血協力者への記念品は携帯用アルコール除菌クリーナーを差し上げました。
献血会終了後は多摩センター駅近くの蕎麦屋と居酒屋で恒例になった懇親会を行いました。学生赤十字奉仕団の皆さんも一緒に楽しむなか、ライオンズクラブの活動に興味を持ってくださり、白獅子会学生支部に入会を希望される方が数名いました。
次回は来年の1月に実施の予定です。皆様の参加をお待ちしています。
献血協力者には記念品の携帯用アルコール除菌クリーナーを贈呈/p>