会長退任のごあいさつ

根岸 清一
前会長 根岸 清一

 東京白門ライオンズクラブの会長職を、後任の大久保英彦会長に無事バトンタッチすることができました。会員の皆様、本当に有難うございました。
 私は、2018年1月入会ですので、会員歴も浅く、白門LCの伝統や実績について、多くの知見を有している訳ではございません。ですが、20 期目の会長として、20周年記念のチャーターナイトを主催する責務が生じますことから、私では到底務まらない懸念もありました。でも、昨年度は幹事長兼第一副会長に任命され、すでに逃げ道も塞がれておりましたため、覚悟を決めて会長とさせて頂きました。
 ただ、当初は翌年5月頃に20周年大会が開催されるものと思い込んでいたところ、種々の考慮から、就任した年の11月26日に開催と決せられましたので、会長職を学ぶ間も有らばこそ、直ちに20周年大会に向けても具体的準備活動に入らなければならないという想定外の事態になってしまいました。
 その結果、会長としての抱負や今年度の達成目標を考えるという余裕もなく、いきなり20周年大会成功に向けての短期決戦に入りました。俗に、「下手の考え休むに似たり」とも言いますので、何も考えずに、ただ20周年大会の成功に向けて突っ走ったことが却って良かったかと思います。
 会員各位の力を結集した結果、20 周年大会は大成功に終わりました。準備期間の短さは、多くの企画の比較検討というようなことではなく、中大杉並高校のダンス部による冒頭の演舞から始まり、白獅子会支部のメンバーによる應援團の演舞での閉会まで、中大色一色で染めて大会を終えることができました。これは、白門LC会員の努力の結晶というばかりではなく、クラブ自体の持つ運というものを感じさせられ、白門LCの今後の成功を予感させられました。
 以上、前半の疾風怒濤を経て、白門LCについてはその後大きな悲しみが押し寄せました。これも20周年という節目を通り越したことによる試練なのかもしれません。
 12月19日に鈴木誠終身理事長が急死されるという痛恨事が起きました。20 周年大会の時には、会の主催者として応接・ご挨拶と役目を果たされ、矍鑠(かくしゃく)とされていたお姿を見たばかりですので、呆然とするばかりでした。年が明けてからは、程塚良男L、廣澤洋二元会長、石村博義元幹事長の訃報に、相次いで接するという事態となりました。皆様白門LCの発展に尽力された方ばかりで、心からご冥福をお祈りいたします。
 20周年ということは、そういう貴重な時間を経て来たということが、心底思われる事態となったと受け止めるばかりです。
 白門LCは、20周年を経て、そして次の20周年に向けて、大きく前進して行かなければ、基礎を築きあげていただいた先輩方に対して顔向けができません。今後、会員一同心を合わせて、クラブの発展に向けて、精進して行きたいと思います。
 なお、白門LC としては、白獅子会支部の発展と献血活動を中心としたアクティビティーの充実は、大久保新会長を中心としたバックアップ体制も相まって、330-A地区でも注目を浴びるほどの成果を上げることができましたことも、報告しておかなければなりません。
 皆様、本当に1年間、ご協力有難うございました。

2024年4月27日(土)
鈴木誠先生を偲ぶ会
第30回中央大学校歌を唄う会 於 シーボニアメンズクラブ

献花し手を合わせる順子夫人

献花し手を合わせる順子夫人


どうする白門ライオンズ‼ 巨星墜つ‼
鈴木誠Lに贈る追悼の辞

 謹んで白門ライオンズクラブ創立の父、第5代会長鈴木誠Lにお別れの言葉を申し上げます。私と鈴木先輩との出会いは今から49年前、小生が新宿LCに入会した年の私が36歳、先輩が39歳でした。その時先輩は新宿LC の何とイケ面の幹事様。その司会振りは男惚れのする話術で、新会員の榎、「やがてあの様になりたい‼」。
 それから云拾年。やがて新宿LC45 周年を迎える年に。当時のガバナー山浦晟暉Lから鈴木先輩と小生に「中大出身者のLCを創ってヨ」との要請がありました。当時学員会(同窓会)会長の山中正暉先生を会長にお願いして、2005 年3月白門ライオンズクラブが誕生しました。それから丸19年、鈴木先輩は「中大支援の為なら何でもするよ」と白門ライオンズ一筋の精神でした。
 鈴木先輩は会長に就任すると「校歌を唄う会」と称して同好会をほとんど自費で半年に1回ご自身の邸宅を提供して計29回開催。この4月27日は第30回記念すべき大会の目前の出来事でした。
 それは12月19日早朝同じチャーターメンバーの星野Lから…。「エノキさん、鈴木先輩が今朝亡くなったんですヨ‼」「何、冗談云ってるんだヨ‼」「信じられないと思いますが本当なんですヨ」…。
 前日の18日までお元気で30回大会の打ち合わせをいつするか話し合っていたところでした。信じきれないエノキ。奥様に直に電話‼ マサカの出来事でした。
 順風満帆のような白門LCにもそれなりの苦労がありました。その都度いつも適切な判断を静かに下されたのが鈴木先輩。金は出すけど口は出さない典型的な親分肌でした。
 誰よりも順子奥様を愛され、そしてご主人を大切にされた奥様、その悲しさ、寂しさはいかばかりかとご拝察いたします。奥様涙涸れるまで哭いて下さい。今、ボロボロの泪はやがて花(昇華)となってご主人に届きます。それが何よりの供養かと思います。
 私にとって先輩を亡くした事は悲しいより悔しいです。かけがえのない人を亡くしました。天はあまりに無情で薄情です。あの渋い独特の語り口の「どうする中大」の大学、情報も、これからはお聞きする事が出来ないんですよね‼
 頼りない私達を黙って支えて下さった静かな親分が突如目の前から姿を消され、まだまだ白門のイロハをご指導戴けるものと思っていた矢先、皆たゞ茫然とするばかりです。
 鈴木先輩、私達はこれからクラブ一丸となってあなたの遺志と生涯を白門ライオンズに尽くした先輩の篤行をクラブ全員で受け継いで行く事を固くお誓いいたします。
 鈴木先輩、どうぞ、みたま安らかに。そしてあなたの最も慈しんだご家族と順子夫人をお守り下さると共に白門ライオンズの将来をご照覧下さい。
 さようなら鈴木誠先輩、ありがとうございました。
【L 榎秀郎・弔辞より】

写真左から、「司会の及川L」「会式の辞・大越L」「弔辞を読み上げる榎L」

写真左から、「偲ぶ会委員長挨拶・中山終身名誉会長」「偲ぶ会副委員長挨拶・福原L」「栃木敏明第二東京弁護士会元会長より弔辞」

写真左から、「集まった皆様へ謝辞を伝える順子夫人」「特別挨拶をされる山浦元国際理事」「閉会の辞・根岸会長」

写真左から、「鈴木ご夫妻のイラストが描かれた記念品贈呈」「鈴木先生の功績を讃えて山浦元国際理事より記念品贈呈」

写真左から、「平岩佐和子さんによるソプラノ歌唱」「福原L」

写真左から、「田邉勉社長」「中山終身名誉会長」「重松述史元監督による中央大学スイングオーケストラOB紹介」

写真左から、「魂のこもった歌声と舞踊を披露」「中央大学スイングオーケストラOBによる演奏で西村協さんの歌唱」「櫻井應援團監督によるエールで締めました」

鈴木先生が亡くなる前日に計画した内容で唄う会を盛り上げました

鈴木先生が亡くなる前日に計画した内容で唄う会を盛り上げました

2024年6月16日(日)
程塚良男Lを偲ぶ会(中央大学応援團OB、港白門会主催) 於 東京プリンスホテル

程塚良男Lを偲ぶ会


程塚良男さんに捧ぐ

 程塚さんが所属しておりました中央大学学員会東京港区支部の支部長として、また東京白門ライオンズクラブの本年度会長として、弔辞を述べさせていただきます。
 程塚さんは、お祖父様の代から港区に大変縁の深い方でした。程塚さんからお伺いしたお話では、お祖父様は戦時中、裁判所書記官として奉職された後、戦後は港区に居を定め、実業の世界に飛び込み成功をおさめ、港区区議会議員、当時の港信用金庫(現さわやか信用金庫)の理事等の要職をお務めになられたとのことで、ご自身のルーツが港区になること、そのうえお祖父様のことを大変誇りに思っていらっしゃることは、色々なお話をお伺いするなかで、強く感じさせられたところです。
 東京港区支部(通称港区白門会)は、本年設立20周年を迎えることができました。この20周年記念行事に際し、程塚さんには、設立20周年記念事業実行委員長にご就任していただきました。港白門会の理事長を永年お務めになり、港白門会の中心メンバーとして、設立時から一貫して会を引っ張っていただきました。かえって私は設立総会時はまだ支部会員にはなっておらず、その翌年頃から参加するようになりましたが、支部活動を積極的に参加するほどではございませんでした。ですから、だんだんと支部活動に参加するようになって以降、初めて程塚さんから支部のことや、中央大学とご自身との繋がりをお聞きするようになったものです。
 そのお話のなかで、程塚さんは縁あって中央大学杉並高等学校の第一期生となったこと、一期生として高校を作り上げていったことや、先生方との深い交流を結び、中央大学に進学してからも應援團の活動に勤しみ、先生方に可愛がられ、教授に頼まれていろいろとお手伝いしたことなど、いくつもの興味深いお話をご披露していただきました。私は学生当時、学生運動が激しくロックアウトが日常のような生活でした。ゼミの先生以外、教授の先生方との交流もないままトコロテンのようにただ卒業証書をもらうだけの身だったので、大変羨ましくお話をお聞きしました。
 そういった中央大学に対する報恩感謝の念があるからこそ、港白門会の活動もすべて手弁当で、理事長として港白門会の発展に大変な業績を挙げられてきました。
 そのうえでもう一つ、本年度20 周年を迎えた団体が東京白門ライオンズクラブです。たまたまちょうど私が本年度会長に就任し、白門ライオンズ会員としても程塚さんは私の大先輩としてご指導いただきました。
 特筆すべきは、昨年度から現役の應援團所属メンバーが中心となって白門ライオンズ学生支部を結成することができました。現在、学生支部員が36 名の大所帯となり、全国に例を見ないほどの学生支部を作り上げることができました。これも中央大学のご理解があったればこその支部結成ですが、その大きな原動力になったのは、程塚さんが20 年以上永きにわたり、中央大学應援團の監督を務められたという偉大な業績と献身があったればこそと、白門ライオンズメンバー全員感謝しております。
 程塚さんの中大愛、港白門会と白門ライオンズクラブへの献身、この業績にはいくら感謝しても感謝しきれません。
 ただ残念ながら、この両会にはすでに程塚さんはいらっしゃいません。程塚さんの献身的な活動を引き継ぐのは、われわれ残された者の使命であると信じます。程塚さんの後を立派に継ぐことができなければ、将来あの世で程塚さんに再会したときに合わせる顔がありません。港白門会と白門ライオンズは程塚さんの意志を継いで、ますます発展していくよう精一杯努力いたします。
 あの世からどうぞ見守ってください。そして、どうぞ安らかに、おやすみください。
【L 根岸清一・弔辞より】

写真左から、「程塚Lは元應援團監督ともあり、應援團参加」「程塚Lに縁のあるメンバーが大勢参加されました」

ガバナーズアワードと献血会の報告

L大久保 英彦
会長 L大久保 英彦
[GST献血・献眼・献腎・骨髄移植委員会 委員長]

 4月20日(土)、第70回330-A 地区年次大会が東京プリンスホテルで開催されました。
 式典の中で、東京白門ライオンズクラブは阿部かな子ガバナーから3部門で表彰を受けました。GMT(グローバル会員増強チーム)アワードは、学生会員8名の入会を行った佐藤信行Lが受賞、GST(グローバル奉仕チーム)アワードは中央大学で行った献血と骨髄バンクのドナー登録活動が評価され、クラブが受賞しクラブ旗に付けるバナーをいただきました。また、ガバナー特別賞は私・L大久保が受賞させていただきました。
 これまで学生支部との連携で献血活動が活発に行われた結果であり、クラブの皆様のご協力が無ければ受賞はかなわず、皆様に感謝申し上げます。
 献血活動は2022年11月から開始され、これまで24回行われました。献血の申込者は1,230名、採血は991名、骨髄バンクのドナー登録者は70 名という結果です。メンバーの参加は65名、白獅子会支部の参加は66名でした。
 直近では6月6日・7日の2日間行い、献血が70名、骨髄バンクのドナー登録が15名という結果でした。今回の記念品は境捷彦Lから健康水、岡田孝子Lからビーツドリンクを提供してい
ただき協力者にお渡ししました。
 献血会場では、白獅子会学生支部と赤十字学生奉仕団の学生が一緒に活動を行っています。学生奉仕団の青山侑樹委員長(文学部2年生)は7月から白門ライオンズクラブに入会しますので、皆様よろしくお願いいたします。
 今や献血活動では白門ライオンズクラブの活動が大きく貢献しており、330-A地区内でトップクラスの成績を上げています。新型コロナの感染拡大により、リモートワークが進み企業献血の開催頻度が7割に落ち込んでいるため、学校献血は日本赤十字社も大いに期待しています。
 献血会では、午前の応援に来た学生と昼食の休憩時に学校生活やクラブ活動、就職活動など様々な話をします。献血会終了後は毎回、多摩センター駅にある蕎麦屋で反省会と称して楽しい飲み会を行っており、スケジュールが合えば学生の皆様も参加しています。
 夏休みや冬休み、試験や入学試験、卒業式などの期間を除いて献血会が行われます。
 今後は9月、10月、11月に開催する予定です。メンバー皆様のご参加を心からお待ちしています。短時間の活動や蕎麦屋例会のみの参加も大歓迎です。是非、多摩キャンパスにお越しください。

GMTアワードで佐藤信行Lが優秀賞受賞!

GMTアワードで佐藤信行Lが優秀賞受賞!

献血会活動02

ガバナー特別賞をいただきました!

中央大学多摩キャンパスでの献血活動(6月7日)

中央大学多摩キャンパスでの献血活動(6月7日)