クオータリー26号(例会だより2022年5月号〜8月号)はこちら
2022年5月6日(金)
5月第一例会 於 銀座東武ホテル(芙蓉の間)
写真左から、「来期の新執行部予定者。左から竹内L(会計)、根岸L(幹事長)、松田L(会長)」「ご来賓の中井ガバナー」
新入会の深澤英雄L
入会式風景
鈴木理事長による大学・学員情報
2022年5月11日(水)
東京新宿ライオンズクラブ結成62周年記念式 於 京王プラザ
中央大学校歌を唄う会は、これまで鈴木L邸で行われていましたが、密にならないようにするためにシーボニアメンズクラブ(例会会場L榎が2004年春、山浦晟暉元ガバナーから白門ライオンズクラブ結成を要請されて早や18年!!
L榎が新宿ライオンズクラブから「旅立ちと引き換えに誰方か有望な人を新宿ライオンズクラブに」と口説いたのが、今、新宿の雄というより鳴く子も黙るくらいの中井正力ガバナーである。
「当初ライオンズですか? あまり興味ないなあ。私なんかより、他にもっと好い人いるでしょう?」永い遣り取りの末、納得して入会してくれた思い出があります。
彼は新宿ライオンズクラブと謂うより東京330の星であり、ガバナーの中でもこの一年の実績は全国にも誇れるガバナーの一人であると確信しています。
それをガバナーとして育てたのが山浦元ガバナーであります。
この日の新宿ライオンズクラブ62周年の式典は330-A地区の中でも508人参加という驚異的な人数でした。私たち子クラブの白門ライオンズクラブは24名の参加で多少の花を添えました。
そこで白門ライオンズクラブ生みの親・山浦Lを讃える語りを依頼されたL榎の原稿を掲載させていただきました。
【L榎秀郎・記】
山浦元ガバナー(元国際理事)お疲れさま
北風が止み、そこに櫻が咲き、小鳥たちの囀りで目覚める朝。それが春を教えてくれます。
夏には爽やかな風を受けながら散策を楽しむ人たち。
秋には澄み渡る月を肴にあー酒が旨い!!
また梅が咲き、正月を知らせてくれます。
まさに四季折々の移ろいを経て……新宿ライオンズクラブは志を同じくする人たちが相集い、渋谷ライオンズクラブを親クラブに、昭和35年5月19日銀座ライオンズクラブと兄弟クラブとして産声をあげました。
ただ、その半世紀以上の歴史は平坦な道ばかりではありませんでした。雨の日も風の日もありました。
日本オリンピック委員会会長であった新宿のシンボル、八木祐四郎Lの突然の逝去は最も悲しい出来事でした。新宿ライオンズクラブに暗い雲がメンバーの心を塞いでいました。
しかし春の陽ざしと共に雲間から明るさを見出しました。誰彼とは無しに「そうだ、うちには山浦がいる」。山浦晟暉Lを中心にクラブの心が一つになりました。
そして2005年、悲しみを乗り越え新宿の悲願だった山浦ガバナーが誕生!!
今、渋谷ハチ公と並ぶ新宿の名物「ライオン像」。当時の新宿駅長と何回も交渉の末、山浦Lの提唱で実現しました。
ワンコインを口に入れると「ウォー!!」。このライオン、聖徳太子が大好きで「ウォーウォーウォー !!」と3回鳴くとか。かの東日本大震災時には多くの人から浄財を集め大活躍したライオンです。
山浦Lは“行動するガバナー”として障害を持った方とそのご家族・関係者合わせて500名をディズニーランドへご招待!! そして2009年には国際理事に当選!! オリンピック・パラリンピック支援本部長、薬物乱用防止の提唱者として国際協力国連大使、その他、数えきれない大役のなか、国際アカデミー最優秀賞を授賞!! 日本ライオンズの名声を欲しいままにしました。
山浦Lは生まれ変わってもやっぱりライオン!! いつまでも世界の人々の幸せを求めて涯てしない旅を続けます。
ただ今、新宿ライオンズクラブでは中井正力ガバナーという新しいスターが生まれました。
そろそろ「世の中の重荷おろして昼寝かな(正岡子規)」と思いますが、休むことを知らない山浦L。いつまでもお元気でご活躍ください。50年間、本当にお疲れ様でした。
L榎 秀郎
写真左から、「新宿62 周年でご挨拶の小池百合子都知事」「橋本聖子参議院議員のご挨拶」